2010.02.24

ケツァルコアトル



元ページ http://www.crystalinks.com/quetzalcoatl.html

(*) メソアメリカとは、メキシコと中央アメリカ北西部で共通的な特徴をもった文化と様々な古代の高度な文明(マヤ、テオティワカン、アステカなど)が繁栄した文化領域を指します。下の地図は Wikipedia より。

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ケツァルコアトルは、しばしば、それを崇拝していたメソアメリカの人々とは似ていない白い人物(光、輝いているもの)として描かれます。 また、多くの場合、ケツァルコアトルは「羽を持つ蛇」として描かれます。蛇が人間の DNA か物理的な現実を表していて、羽は、人間の起源への意識の上昇を表している、とされています。

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ケツァルコアトルは、トト ( Thoth =神の書記官)が、神聖な幾何学を通して表したものですが、あくまで現実として描かれています。 それは、「空から来て、また戻ると約束した」という、ひげもじゃの白い神として描かれているので、モルモン教徒学者たちの中は、イエスをケツァルコアトルと信じる者もいます。モルモン教によると、イエスは、彼の復活の後にアメリカ人のネイティブを訪問したとしています。

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Quetzalcoatl - Codex Telleriano
ケツァルコアトル - テリェリアーノ・レメンシス絵文書



ケツァルコアトルという名前は、ナワトル言語から来るメソアメリカの神であり、「羽のある蛇」の意味を持っています。
羽状の蛇の神の崇拝は最初に、メソアメリカで紀元前400年 - 西暦600年に、新しい聖地としてキリストの時代にメキシコのハイランドにあったとされるテオティワカンに記録が残っています。それがメソアメリカで 西暦600年 - 900年頃に広まったものです。

古代以降(西暦900年 - 1519年)、羽状の蛇の神の崇拝はチョルラの中央であるメキシコの聖地の中心に置かれました。 この時代に、神はナワの追随者によって「ケツァルコアトル」と命名されたとされています。

マヤ文明圏では、「羽状の蛇」として異なったマヤの言語での名前で、ククルカンや、あるいはケツァルコアトルとして知られていました。16世紀のスペイン侵略の時代には、ケツァルコアトルについての多くの説明がなされた資料が残されました。"Ce Acatl"、"Topiltzin"、"Nacxitl"、または、ケツァルコアトル、などの名前は、 Tollan の mythico と歴史的にゆかりのある支配者と関係があります。

トルテカ帝国の上記の神々の名前は実際の歴史的な出来事にも出てくるわけで、これらの神話が果たして単に伝説であるのかどうか、ということを歴史家の多くが議論しています。

アステカ族の史料では、ケツァルコアトルは風と金星と夜明けの神と関係があり、商人、芸術、工芸、および知識の神とも関係がありました。また、彼はアステカ族の聖職者を知識で後援していました。
ケツァルコアトルは他のいくつかの神のと共に、アステカの神殿の重要な神のひとりです。