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クレアなひととき - 難解な手紙(2011年08月25日)
http://tok2.seesaa.net/article/222314379.html



ヘブライ人への手紙


最近ずっと考えている聖書のフレーズがあります。
そのことを資料的に書いておこうと思います。

もともとは、 Getting Used To Life Without Food という米国の BBS の記事に出てきていたもので、これ自体は、よくある「現実の災難と聖書を照らし合わせる」というようなものだったのですが、その BBS の内容はどうでもよく、私はその投稿で、聖書の「ヘブライ人への手紙」というものを知り、初めて少し読んでみました。

最近は、「はじめに言葉はあった」とか、あるいは、先日の「聖書について私が知っている2、3の事柄」などでは千石イエスの話なども書いていて、なんだか聖書ついているので、この流れも理解できなくはないです。

さて、その「ヘブライ人への手紙」。

ここにはいくつも注目すべき言葉が出てきますが、その中で、結局、どうしても意味がわからなかった節が出てきますので、個人的な問題提起として、また、資料として書いておきます。

なお、日本語でわからないので、英語でも読んで、さらに意味がわからなくなったので、その英文も添付しておきます。日本語訳は、日本聖書協会での訳です。

Hebrews.jpg

▲ 6世紀に写本された「ヘブライ人への手紙」らしいです。これはギリシャ語だそう。

その「どうしても意味がわからなかった文言」のある、この「ヘブライ人への手紙」ですが、ここにも、先日の記事「ヨハネによる福音書を純粋主義者として読む」で紹介したものと同じ概念がでてきます。

11章の最初です。

上記の記事で、この「ヨハネによる福音書」の冒頭部分に書かれてあることを私なりに要約したものを書きましたので、ここにも記しておきます。

・はじめに言葉があった。

・すべてのものは言葉からできた。

・言葉の中に命があった。


このようなことが書かれてあると考えていいかと思います。

さて、「ヘブライ人の手紙11章」の1節と3節を並べて書いておきます。




1:ヘブライ人への手紙 / 11章 1節

信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。

( Now faith is confidence in what we hope for and assurance about what we do not see. )

--


3:ヘブライ人への手紙 / 11章 3節

信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。

( By faith we understand that the universe was formed at God’s command, so that what is seen was not made out of what was visible. )





どちらも大変に難しい。

最初の1節では、

「見えない事実を確認すること」

と書かれてあります。

そして、3節では、

「見えるものは、目に見えているものからできたのではない」

と明言されています。

この節には「言葉によって創造され」ということも書かれていますが、ここにある「見えないもの」というのは何なのか。それが「肉眼で見えない」というだけの意味なら、確かにあらゆる物体の構成物質の基本は、分子みたいなものにしろ原子だとか電子だとか、とにかくちっちゃいので見えません。

しかし、そういう意味ではないということだと厄介なわけで、埴谷雄高さんの言われていた「存在の根幹の問題」へと突き進むかと思います。

つまり、「見えない=存在していない」として、

「見えるものは存在していないものからできている」

という解釈をすると、この世の中のとらえ方は確かに大変なことになる。

たかが男女の不倫でも、


男 「きみは素敵だ。ずっと一緒にいたい」
女 「私も」
男 「ただ、ひとつだけ問題があるんだ」
女 「奥さんのこと?」
男 「違うよ」
女 「じゃあ何?」
男 「きみは存在してないんだ」


というように、痴話喧嘩ならぬ、より面倒くさい「存在話喧嘩」ということにもなりかねない・・・。

えーと・・・・・まあ、とにかく話が脱線しすぎないうちに、そのどうしても意味がわからなかった節をご紹介します。

それは、ヘブライ人への手紙 11章 40節で、これはこの章の最後の部分です。

この11章は、「見えない事実を確認すること」が大事だという言葉から始まり、そして、下の部分で終わるのです。




ヘブライ人への手紙 / 11章 40節

神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったので、わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです。





・・・・・。

この前の話にいろいろな登場人物が出ていて、それらは「神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした」あり、そこに続く文言なので、「彼ら」というのがその登場人物であることはわかるのですが、

わたしたちを除いて・・・?(わたし「たち」という複数形?)

完全な・・・?(完全な状態って?)

に達しなかった・・・?(達するとは?)


と、ひとつひとつの言葉に抵抗感がある。

それ以前に、全体の文法の構成自体がよくわからない(やや日本語として文法が破綻している気配が)。

いくら読んでもわからなかったので、英語のほうも見てみたんですよ。

これもすごい。

God having provided some better thing for us, that they without us should not be made perfect.


(@_@) ・・・?

日本語訳で「更にまさったものを計画して」とある「計画」の部分は、英語では provied という部分に該当しているようですので、用意するとか提供する、というような意味合いのほうが強いのかもしれません。直訳だと「より良いものを与えて下さったので」という感じでしょうか。

いずれにしても、全般的にわからないですが、特に、「完全」という言葉は何に対応するのかということを、わりとずっと悩んでいるのですが、しかし、まあ、いろいろと時間も限られます。