2011.09.12
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裸子植物が行う暗黒での光合成 (クレアなひととき 2010年05月28日)
http://tok2.seesaa.net/article/151375315.html
薔薇十字の修行をされている方が以前こういうコメントを書かれていました。
ちょっと長い引用になってしまいますが、その部分を引用させていただきます。
狂気の沙汰と言われようと、呼吸による身体内の炭素の把握はぼくらの最重要の関心事です。これは呼吸の行とよばれます。
ぼくら薔薇十字の徒は人間の本来のバランスを取り戻そうとします。
呼吸の行というのは人間である自分と植物との共生の問題です。
人間は生きているだけで大気中に二酸化炭素をばら撒きます。そして「どれだけ二酸化炭素を排出しないか」という冗談みたいなことが、ぼくら薔薇十字の修行者にとっては真面目な課題です。
古神道の大国隆正という人の『本学挙要』という本の中に人と稲が逆さに並べて描かれている図があります。これはフトマニの区象といって、人間は逆さまになった植物であり、互いに共生しているという旨を説明するものです。西洋でも東洋でも霊学ではこれは一般的な認識です。薔薇十字でもおなじです。植物というのは、体内に緑色の血が流れ、太陽に向かって真っすぐに成長する地上の存在としてはピュアなあり方のお手本みたいなものです。
ゲーテには「原植物」という理想的な植物の概念があります。
つまりあれが人間として目指すべき理想であり、最高の元型です。
鉱物の中にも例えば水晶のように炭素が純化された存在として理想的な存在たちが居ます。植物や鉱物というのは本来の意味において頭上の天体運動の鏡像みたいなものです。薔薇十字の理想は、赤い血の情熱を保ちつつ植物のように上へと向かうことです。そして太陽に向かうことです。これが重要な点です。
天体のなかで西洋神秘学でロゴス(言語)と呼ばれるものの象徴が「太陽」です。
でも現在の宇宙で頭上に輝く太陽が人間にとっての「言語」の象徴に過ぎないとすれば、物理的に把握されるただの象徴である太陽より、植物のほうが先に創造されるというのは自然ですよね?
その前に「言語」は既に存在している、というより、むしろこの宇宙の原初には「言語」が先にあったのですから。それ自体は植物の誕生よりずっと昔だというわけです。
私が理解できているかどうかはともかく、こういうような「植物と人間の関係」とか「人間の光合成」というような概念の可能性にはやはり興味があります。