History of Turntablism and Scratch

ターンテーブリズムとスクラッチの歴史と貢献したDJと音楽家たち



スキルの飛躍的向上

Invisible Skratch Piklz


riffraff.1.gif
Invisible Skratch Piklz



1992年にアメリカのDJコンテストである「DMC」に「異常な出来事」が起こります。

1992年から1994年までの3年間、2人(1992年は3人)のDJコンピが連続してDMCのチャンピオンに輝くという異常事態が起きてしまうのです。
3年目に彼らが優勝した時に、DMC事務局はコトの重大さに気づき、彼らにさりげなく「コンテストからの引退」を勧告します。ふたりは素直に従い、以降、その二人はアメリカでのコンテストには出場しなくなりました。「出れば必ず優勝してしまう」からです。

そのふたりの名前は、Q-Bert [キュー・バート]、と、Mix Master Mike [ミックス・マスター・マイク]。

そして、彼らが活動していたスクラッチ集団の名前は、Invisible Skratch Piklz[インヴィジブル・スクラッチ・ピクルズ]。
彼らが、そしてこの集団が事実上、スクラッチの世界に革命を起こしたのです。
Q-Bert と Mix Master Mike のふたりが1993年と1994年、2年連続でDMCワールドを制した時の映像がこちら。



Invisible Skratch Piklz[インヴィジブル・スクラッチ・ピクルズ]。

この奇妙で、なおかつ長い名前は、英語に不慣れな日本人にはとても取っつきにくい言葉であると思います。日本語に訳しても、あまり意味はわかりません。

この奇妙な名称の集団が現れたのは、アメリカの西海岸でした。

Q-Bert[キュー・バート]、DJ Shortkut[ディージェイ・ショートカット]、DJ Disk[ディージェイ・ディスク]そして、初期メンバーにMix Master Mike[ミックス・マスター・マイク]を有した、この集団こそが「史上最強のスクラッチ集団」として現在に至るのまでのスクラッチの伝説を一手に引き受けることになるわけです。



彼らは、少年期にハービー・ハンコックのRickItのグラミー賞受賞コンサートで、Grand Mixer DXTがスクラッチをしている風景を見て感化され、その後、サンフランシスコで活動を始めたThe Bullet Proof Space Travelersのスクラッチ活動に影響を受けて、集団でスクラッチ音楽を作り始めました。

また、それぞれに極めて優秀なスクラッチ・スキルを持った人々の集団でもあり、1990年代初頭まではDJバトルコンテストでの常連チャンピオンでもあり ました。その後は、後進の育成のために、コンテストは出ていません。彼らが出ると、他の誰もが優勝できないような状態が実際に続いたためです。


▲ 映画「Scratch」よりミックスマスター・マイクのスクラッチ風景。


彼らの活動は西海岸ではすでに有名でしたが、彼らの音そのものが世にでたのは、謎のDJ「Shiggar Fraggar」が出した、世界初のスクラッチ・オンリーアルバム「The Shiggar Fraggar Show」でのことです。
このアルバムについては、次ページ[2つのレコードレーベル]をお読み下さるとわかりやすいと思います。

いずれにしても、人に真似ができないようなスクラッチ・スキルと、何よりも「ターンテーブルを楽器やサンプリングのように扱う」という演奏法に、人々は衝撃を受けました。
その後の多くの若いDJたちが彼らを目指して精進したといっても、さほど過言でもないでしょう。

The Bullet Proof Space TravelersとInvisible Skratch Piklz。

この2つの集団については、スクラッチの歴史で忘れてはいけない存在です。


次ページ  » 2つのレコードレーベル