スクラッチという発明
まずはこれをご覧下さい。
2002年のドキュメンタリー映画「スクラッチ」の冒頭シーン。
スクラッチを生み出したとされる、Grand Wizard Theodore [グランド・ウィザード・セオドア]のこの言葉から映画は始まります。
こうやって、あるひとりの黒人青年の思いつきでスクラッチは芽生えて、そして、ストリートを中心にまたたく間に全世界を席巻していくのです。
グランド・ウィザード・セオドアのスクラッチの発明から、世界の流行ソングに定着するまで、2年ほどだと思います。次ページでの、グラミー賞受賞ステージでのGrandMixer DXT [グランミキサー・ディーエックスティー]のスクラッチ演奏は多くの、特にアメリカに住んでいた青少年たちに大きな影響を与え、後のターンテーブリストたちを生み出すのです。
ここでは、スクラッチの歴史を書いていきます。
スクラッチ音楽の歴史では、[ターンテープリズム=TURNTABLISM]
という言葉をこの文化形態に当てはめる方が一般的です。[※注1]
これらは「scratch」に対しての定義で、現在でいうスクラッチ音楽、あるいはターンテーブリズムというのは、スクラッチ[レコードを引っ掻く]、ビートジャグリング[2枚のレコードを使ってのMIXテクニック全般]等のすべてのDJスキルを統合しての意味ということで、あくまでも、そういう新しいジャンルの音楽という捉え方をしてもらってもいいと思います。
たとえば、ラップやポピュラーミュージックに装飾的に「スクラッチ音」が使われていても、それはターンテーブリズムとは関係のあるものではありません。
逆にスクラッチ音等が入っていなくても、音楽の作者が意図的にターンテーブルを操り、音楽作りの主体をターンテーブルに求めている場合は、一見単なる音楽の再生にしか見えなくとも、それはターンテーブリズムということができるかもしれません。
それはターンテーブリズムの歴史の源泉がDJカルチャーにあり、DJの仕事はターンテーブルを回すことであったわけで、その「行動」そのものに活路を見出した人たちの奮闘の歴史でもあるからです。
すべてをターンテーブルに求める音楽活動がOKとなり、すなわち、ターンテーブルDJたちがHIP HOPの「MCとDJ」という結びつきを離れ、今ではスクラッチDJは MC不在でも単独のミュージシャンとして認められてきているという現実もあります。[※注2]
ターンテーブリストという言葉を発明したDJ Babu (プレイは1995年の USA DMC ファイナルから)
なぜか、アメリカの初期ターンテーブリストにはフィリピン系が多い。このDJ BABUもそうだし、Q-BertもMixmaster Mikeもフィリピン系。
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