バトルブレイクスの誕生
The Bullet Proof Space Travelers
▲ The Bullet Proof Space TravelersのDJ エディ・デフが 1998年にリリースしたレコードより。。
時代は1990年代に入り、スクラッチを巡る環境は急速に変化していきます。
それまではジャンルとしてはむしろハウス系のDJなどが多かった各種DJバトル大会での主役やチャンピオンが次々とHIP HOP系となっていき、ついには、HIP HOPという枠も関係なくなっていきます。
バトルDJたちはジャンルとは関係なく、ヴァイナル[=レコード]に技術の限りを尽くしてスクラッチ音楽として発展させていき、そして、それを使う自分自身を激しくアピールし始めたのです。
そして、史上初めて「スクラッチ集団」というものが登場します。
それはアメリカで同時多発的に起こります。
西海岸では、まずサンフランシスコで、DJ Cue[ディージェイ・キュー]を中心とした「The Bullet Proof Space Travelers[ザ・ブレット・プルーフ・スペース・トラベラーズ]」が結成されます。
メンバーは他にEddie Def[エディー・デフ]、DJ Quest[ディージェイ・クエスト]、DJ Marz[ディージェイ・マーズ]の4名。[※7]
サンフランシスコで80年代からスクラッチカルチャーを広めていた彼らは、それを集団で行うという、これまでにはなかったユニットを組み、世のDJ、ターンテーブリストたちに多大な影響を与えます。
考えれば、それも当然のことで、それまではMCや演奏家たちの後ろでレコードをこすっていたDJたちが複数で結集して、全員がターンテーブルを担当楽器として演奏する、などということは、いくらスクラッチ自体がすでに音楽の世界にあったとはいっても、彼らの登場までは全く考えられない音楽の演奏形態でした。
これは今でいう、DJバトルの発祥であったとも考えられます。
The Bullet Proof Space Travelersのもうひとつの功績は、DJ専用のレコードを作った元祖でもあるということでしょうか。これは今でいう「バトル・ブレイク[Battle Break]」などと呼ばれるもので、つまり、「これさえ持っていれば、バトルDJも楽にできるよ」という、DJたちが欲しがっていた音源だけを集めたレコードを発表したのです。
このジャンルでは、1996年のDMCアメリカ大会でのチャンピオン、DJ Swamp[ディージェイ・スワンプ]もそうです。Beckに見出されることで、一気にメジャーDJとなった彼ですが、「スクラッチ用レコード」の制作に早くから着手した一人です。
彼らのこの「スクラッチ用レコードの制作」という行動がなければ、今の気軽なDJバトルは始まらなかったと推察されます。
とにかく、The Bullet Proof Space Travelersは、スクラッチ集団という存在をこの世に登場させた始祖であり、この影響はすぐに、あまりにも大きくなって、その後に続きます。
すなわち、Invisible Skratch Piklzの登場に続くのです。
Invisible Skratch Piklzが最初のスクラッチ集団という捉え方もありますが、単に歴史的な順序で言うならば、The Bullet Proof Space Travelersが先になります。
ただ、歴史の順序はさほど重要な問題ではなく、この2つの集団の後世への影響力としては、
物質と文化そのものへの貢献→ The Bullet Proof Space Travelers
・バトルブレイクスをDJたちの間に浸透させたこと
・スクラッチ&ターンテーブル集団というものの存在を世に知らしめたこと
スキルと人気への貢献→ Invisible Skratch Piklz
・スクラッチとビートジャグリングにおける至高の技術の必要性をプレイにより訴える
・Q-BertやMix Master Mike等の人気DJの輩出によりスクラッチ文化の拡大に貢献
というようなことになると思います。
[※7]The Bullet Proof
Space Travelersでの活動の後は、個人個人がそれぞれ積極的な音楽活動を続けている。DJ
Cueはプロデューサー的なスタンスで、コンピアルバムを複数製作。Eddie
Defはソロとして多くのアルバムを発表し、また、サンプリング音楽への造詣が深く、
メンバーの中でも特異な音楽活動を展開。DJ Marzはソロで1枚アルバムを出しているが、その後は聞かない。DJ Questは「Live
Human」というユニットを組み、ターンテーブルとチェロとドラムという異色のユニットで非常におもしろい音楽活動を続けている。
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