解き放されたスクラッチ文化
Grand Master Flashの発案したRubbing[こする]からGrand Wizard
Theodoreが発案したScratch[引っ掻く]、そして、Steve
Deeがビートジャグリング[音のMIX]を発案したことで、スクラッチ・スキルの輪郭は完成に近づきます。
そして、The Bullet Proof Space TravelersやInvisible Skratch
Piklzの出現により、スクラッチ集団や、バトルDJといったジャンルが確立され、多くのDJたちがバックグラウンド・ミュージシャンから、自
主的な音楽活動へとそのスタンスを変えていきます、
他のスクラッチ集団としては、、DJ Babu、DJ Melo-D、Rhettmatic、J-Roccで構成されるThe Beat
Junkies[ザ・ビート・ジャンキーズ]、A-Trackなどが中心となり結成された、Allies[アリーズ]、シンシナティを中心活動してい
たMr.DibbsとDJ Signifyを中心とした「1200hobos」などがあります。
DJ Babu
他にも、全米各地で一斉にDJたちがユニットを組み、また、個人で音楽活動を開始しました。
また、これまでにも出てきた、ユニットやレコード・レーベルを軸に、DJたちが精力的に作品を発表します。
スクラッチ文化はついに解き放たれたのです。
- 1999年、Invisible Skratch PiklzのQ-bertは「Wave Twisters, Episode 7 Million」を発表。
- 同年、Invisible Skratch Piklzのクルーであり、ビースティ・ボーイズの専属DJともなっていた、Mix Master MikeはAsphodelレーベルよりフルアルバム「Anti-Theft Device」を発表。
- The X-ecutionersのRob Swiftは、1999年に「The Ablist」を発表。
- DJ CrazeがDMCファイナルで、1998年から3年連続でチャンピオンに輝くという偉業を達成。DJ Crazeは1999年にフルアルバム「Crazee Musick」をリリース。
- ヒップホップ・レーベル「STONES THROW」のオーナーであるPeanut Butter Wolf[ピーナッツ・バター・ウルフ]が1999年に自身のレーベルよりアルバム「My Vinyl Weighs a Ton」を発表。これがHip Hop上での重要アルバムとなる。
- 1200hobosのMr.DibbsとDJ Signifyは、1990年代にカセットで発売した自身の音源を1999年に相次いでCD化して発売。
- Beat Junkuiesは、DJ Babu、Melo-D、Rhettmatic、のそれぞれをフィーチャーしたフルアルバムを連続で発表。
- The Bullet Proof Space TravelersのDJ Cueは、コンピレーションアルバム「Cue's Hip Hop Shop」シリーズを発表し、アンダーグラウンドHIP HOPへの新しい道を模索。DJ Questは、ユニットLive Humanを結成し、アコースティック楽器とスクラッチの融合を試みる。
などの動きが1999年頃を起点にして、一斉に起こります。
一方、アメリカ人だけではなく、世界中のDJたちがアメリカに結集して、音楽活動を開始します。
- ロシア人のDJ Vadim[ディージェイ・ヴァディム]はTrip Hop系のレコードレーベル「Nija Tune」[ニンジャ・チューン]から多数のスクラッチ・アルバムをリリース。
- フランス人で、「スクラッチの魔術師」と呼ばれたDJ Cam[ディージェイ・ケイム]は、アブストラクトHIP HOPジャンルの確立に奔走。
- 日本人のDJ klush[ディージェイ・クラッシュ]、DJ Honda[ディージェイ・ホンダ]、また、最近ではDJ Kentaro[ディージェイ・ケンタロウ]などがアメリカで高い評価を受ける。
など、多くの国とジャンルを巻き込みつつ、スクラッチカルチャーは成熟期を迎えることになります。
そして、アメリカ発だったこの文化は、およそポピュラーミュージックを聴いている、すべての国へと伝わっていき、全世界での音楽文化となっていきます。
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