The History of Scratch and Turntablism

ターンテーブリズムとスクラッチの歴史と貢献したDJと音楽家たち



ビートジャグリングの登場

Steve Dee


▲ Steve Dee の1990年の演奏。 DMC ニューヨーク。客も異常に熱狂してんな、こりゃ。当時は「クレイジー音楽」と呼ばれた。今でもまあそんな感じ。



1990年の「New Music Seminar's Battle for World Supremacy」というDJコンテストで優勝したSteve Dee[スティーブ・ディー]。
彼自身はどちらかというと、職人的なDJで、最近のターンテーブリストやバトルDJのように自身を前面に押し出した音楽活動はしていません。マイケル・ ジャクソンなどとのコラボレーションを成功させているあたりも、DJスキルの発展への寄与というよりも、「DJは多くのMCやミュージャンとの共同製作の 姿勢を崩すべきではない」という持論を持っているようです。

そんな彼がスクラッチ文化に放った最大の貢献が「ビートジャグリング」を考案したという点です。

ビートジャグリングの意味は現在では様々ですが[※6]、彼の行ったビートジャグリングの手法は「レコードのドラムパートをスクラッチすることにより、まったく新しいドラムのパターンを作る」ということでした。
これは大変、斬新な方法で、今でも多くのスクラッチDJたちの中での基本的なスクラッチ技法として、その存在は大きくなり続けています。

そして、ビートジャグリングの登場で、それまで以上に重要性を増したのが「ミキサーの存在」です。それまでは、2台のターンテーブルの音繋ぎとしての役割 の強かったミキサーですが、ビートジャグリングの登場により、「2台のターンテーブルから流れる音の組み合わせ」をミキサーにより自在に調整することを試 み始める人々がたくさん出てきたということです。

そのミキサーの使い方にも日々、新しい手法や技法が生み出され、さながら「音のコラージュ」のごとき自在な音作りを可能としていったのです。


[※6]「ビートジャグリング」は現在のバトル DJやターンテーブリストたちの技術的な支柱ともなっている技法で、そこにはいろいろな意味や方法が含まれているが、「2枚のレコードを使う技術全般」と いっていい。2枚の同じレコードの同じ部分をスクラッチし続けてリズムキープしたり、カットやフェイドイン・アウトを利用して、リズムに複雑な感情をつけ たり、ミキサーの使い方そのものが音のエフェクトとなっている部分がある。


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