創造神ヌーワへ捧げる地球の音楽

もう楽器は要らない : インヴィシブル・スクラッチ・ピクルズ(1991年-2001年)




下の動画は、インヴィシブル・スクラッチ・ピクルズの4枚目のアルバムの録音風景より。
1999年前後だと思います。


The Invisibl Skratch Piklz - Kan't Skratch (1999)




19世紀の終わりから大衆音楽が爆発的に進化する少し前、西欧では中世に「音楽の暗黒時代」が長く続きました。
クラシック音楽全盛の時代です。

それは音楽そのものの問題ではなく、「音楽は人類みんなのものでもある」というヌーワが人類に与えた前提条件の前に立ちはだかる以下の要素がクラシック音楽にありました。

・楽譜が読めないといけない
・特定の楽器がないと曲を再現できない


たとえば、何かの音楽を耳で聴いたあとに、それが気に入ったとします。気軽に他のもので代用でそれを演奏しても「それは音楽ではない」とされてしまった時代でした。

「音楽を操ることのできる人を選別した」という意味では、クラシック音楽というのは明確に「創造神に反逆する音楽」だったということはいえそうで、パンクなんかよりもずっと反抗的な音楽だったといえそうですが、しかし、私たちもそうですが、基本的には世の中には「神の思う通りに生きていきたい」と思う人たちのほうが多かったと思っています。

この人たちも、紛れもない「創造神ヌーワの言葉をこの世にもたらすため」に地上に現れた人々だったと最近気付きました。

1992年にアメリカのDJコンテストで3年連続で優勝し話題となったフィリピン系アメリカ人たちの音楽コミュニティがアメリカ西海岸にありました。それが、上の動画のインヴィシブル・スクラッチ・ピクルズ( The Invisibl Skratch Piklz )で、彼らはこの世でほぼ初めて「ターンテーブルを楽器として扱うこと」を試みた DJ 集団でした。

過去の音楽のほぼすべての音」が凝縮されている数限りないレコード。

それを楽器にする。

音楽の中心にあるのは規則ではなく、「人間の音楽に対しての欲求と、そのためのスキルがメイン」。
しかも、過去の人類文明の音楽史のエレメントを使って音楽を再構築する。

ヌーワも想像し得なかっただろう新しい楽器の出現に、彼女たち創造神も喜んだと思います。

しかし、世界では音楽はターンテーブルさえ必要ない「個人の価値観の宝物としての音楽」へとなっていく動きも 1980年代に始まっていました。今後ご紹介していきたいと思います。





インヴィシブル・スクラッチ・ピクルズのアルバムは iTunes から入手することができます。