覚醒の文化 ヒップホップ - Vol.1




インヴィシブル・スクラッチ・ピクルズが音楽世界に与えた震撼(6)



スクラッチが変えた音楽界の勢力の変換



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(6)音楽界の勢力の変換

1980年代や90年代はそれまでの音楽ブームとは明らかに違うブームがメジャー音楽界に起きていました。 いわゆるメジャーロックやポップスはそのまま存在していましたが、アンダーグラウンドの裾野の広いアメリカでは、今までになかったようなタイプのミュージシャンや音楽がメジャーフィールドに台頭してきます。パンクやヒップホップの流れを組むものが代表ですが、音楽ビジネス的にも、もはや「単なるマイナー」では済まないことになってきていました。

白人ラップユニットとして活動をしていた「ビースティ・ボーイズ」が1986年に「ファイト・フォー・ユア・ライト」という曲で、ラップとして初めてビルボードの1位を獲得します。ミックスマスター・マイクは、1997年からビースティ・ボーイズの専属DJとなり、彼らのヒットに貢献することになります。

また、白人DJのDJスワンプという人と組んだアメリカのベックが1994年に「ルーザー」という曲でメガヒットを記録。収録アルバムはアメリカだけで120万枚を売り上げます。

その風潮の中で、若者たちのDJ人気はどんどんと高まり、今はどうだかわかりませんが、2000年頃には「ギターよりもターンテーブルを欲しがる」アメリカ人の若者が多くなります。

多くの若者の「格好良さ」の基準が変わってきて、そして、すぐにこの「新しいカッコイイという概念」は全世界に行き渡ります。

必然、DMC優勝者などには最高の尊敬の目が向けられるようになり、各国のDJたちがDMCを目指すようになり、以前よりも更にその頂点を極めるのは難しくなっています。 ちなみに、2002年には、DJ Kentaroが日本人として初めて優勝しています。(その時の映像

そんなDJ人気が高まっている中で、DJ QバートはDJたちへの贈り物として、世界で初めてのスクラッチ教本DVDである「DO-IT-YOURSELF」をリリースします。
自分の持っているテクニックをすべて披露したのです。
今では YouTubeでも見ることができます。

ミックスマスター・マイクはビースティ・ボーイズの専属DJとしての活動と共に、積極的にソロ作品もリリースし続けます。2000年に出した「Eye of the Cyclops」という作品では、カリフォルニア・ミュージック・アワードを受賞。また、2001年のドキュメント映画「スクラッチ」ではもっとも時間を割かれて紹介される人物となっていました。

2002年には Qバートはアップルコンピュータ社の「スイッチ・トゥ・マック」キャンペーンのアメリカでのテレビCMのキャラクターに選ばれて、お茶の間の顔としても進出します。 人なつっこい顔の彼は確かにCM向けだったかもしれません。CMの最後に彼は「ぼくの名前はDJ Qバート。職業はスクラッチDJだ」と言っています。



▲ スイッチ・トゥ・マックのCM

CMといえば、同じインヴィシブル・スクラッチ・ピクルズのメンバーである「ショートカット」という人物も、ニューヨークのDJ、ロブ・スウィフトと共にGAPのアメリカでのテレビCMに登場します。

気がつけば、みんな妙にアメリカの陽の当たる場所を歩き始めていました。

しかし、これは彼らが努力して世間に迎合しようとした結果ではなく、彼らはこの20年間ずっと同じことをやり続けています。 周囲が彼らの軸に傾き始めたといった方がいいのかもしれません。




そんな中で、彼ら、つまりミックスマスター・マイクとQバートがもっとも嬉しかったのは、「若い時に彼らが憧れてその世界に入った」人たちに正式に認められた時だったのではないでしょうか。

Qバートは、2001年に、グランミキサーDXTから「キミこそが私の正式な後継者だ」と絶賛され、ふたりはステージ上で抱擁します。 グランミキサーDXT・・・。

そう。彼は、まだ、Qバートが少年だった1984年にテレビのグラミー賞コンサートで「ロック・イット」のスクラッチを演奏していた人物です。
Qバートとミックスマスター・マイクが衝撃を受けて、「この道を行く」と人生を変えることとなった、その当人。
その人から、Qバートは正式に認められたのです。

「今はお前たちの時代だ」と。


さて、長くなりましたが、彼らの果たしたもっとも重要なことは何か。
それは実はとても単純で、しかも重要なことです。

それは

彼らが「ヒップホップから人種の壁を取り去った」最大の功労者だということです。

それは彼らがフィリピン系アメリカ人だから、ではありません。

彼らが提示した「DJスキルの相互の精進」という構造の中には人種の概念など入り込む余地はない、という部分が大きいです。概念の中心にあるのが「ターンテーブルに関してのワザと感性」であるので、人種、性別、などは評価の対象の中にはまったく入りません。

なので、この「アメリカのDJの世界」というのは、世界中でもっとも人種が混在して活動する場となったのです。

これは、ミックスマスター・マイクとQバートが提示した世界から始まったことでした。

あの成績の悪い子どもたちだったマイケルとリチャードたちは結構大きなことを自然となし得たのでした。 --

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