覚醒の文化 ヒップホップ - Vol.1




ステンスキの登場によるヒップホップの「拡散」の開始



アフロ・アフリカンの文化から世界の文化への伝播



ステンスキ - The Motorcade Sped On (日本語字幕入り)

▽ 白人最初のヒップホップ DJ といえるステンスキという人物が、ケネディ大統領暗殺のテレビでのニュース速報の音声をミックスした1987年のスクラッチ・ヒップホップの名曲「The Motorcade Sped On」。これに刺激を受けたDJは多く、たくさんの類似したスクラッチ曲が作られていくことになります。彼の後に、カット・ケミスト、DJヌマーク、DJシャドウなどの白人DJが一気に米国で登場してくることになります。「白人が黒人からビートを譲り受けた時」とも言えます。




19世紀以降の世界の大衆音楽は、あくまで基本的にですが、黒人が作り出し、他の人種に伝わっていくという形になっています。

19世紀の終わりにブルースが黒人によって歌われ、ブルースそのものも他の人種へ広がっていきますが、ブルースはロックの誕生に結びついていきます。ロック自体は白人文化となり、白人文化としてのロックは1950年代から1990年代までの40年間前後、勃興し、その後衰退します。

また、19世紀にはジャズもやはり黒人から生まれ、世界のポピュラーミュージックとなっていきます。

ジャズの方向性はイージーリスニングの大衆音楽としてのジャズと、もう一方はモダンジャズに代表されるような、一種難解な即興演奏をこの世に叩き出した点にも大きな功績があります。ジャズの即興性はそれまでの大衆音楽には見られなかった試みだからです。ジョン・コルトレーンやアルバート・アイラーらのモダンジャズの巨匠たちが音楽界に与えたインパクトは非常に大きいです。

現在のラップミュージックの礎を築いたギャングスターというラップユニットは、黒人ジャズの音の要素を積極的に自分たちの曲に取り入れて、「俺たち黒人の音のルーツを忘れないようにしようぜ」と言い続けていました。

さて、ヒップホップは前回書いたとおり、その発祥を、サウスブロンクスのギャング団のリーダーだったアフリカ・バンバータが1973年に結成した「ユニバーサル・ズールー・ネイション」に辿ることができます。アフリカの黒人たちの文化と生活に強く影響を受けたアフリカ・バンバータが「米国の黒人たちの意識改革」を実現するべく、アフリカ系アメリカ人(アフロ・アメリカン)に新しい文化の価値観を導入したのが「ヒップホップ」でした。

つまり、もともとはヒップホップは米国の黒人を対象にした比較的狭い文化だったとも考えられます。

しかし、ヒップホップの持つ強烈な魅力、それはラップとDJという音楽だけではなく、ブレイクダンスやグラフィティは、わりとあっという間に人種の壁を打ち破っていきます。

その後の20年くらいの間に、ヒップホップの周辺で起きたもっとも大きなイベントとしては、

・1973年 アフリカ・バンバータによりヒップホップの概念が誕生

・1983年 ロシア系のステンスキが、白人によるものでは、初めてとなる DJ ミックステープ「レッスン1」を発表

・1984年 ハービー・ハンコックの「ロック・イット」のグラミー賞ステージにヒップホップDJがスクラッチ演奏家として登場

・1989年 ラップユニット、ギャングスターがレコードデビュー。現代ラップの基礎が作られる

・1990年 パブリック・エネミーが「Fear of a Black Planet」を発表。このアルバムは後に米国国会図書館の重要保存録音物として永久保存

・1992年 フィリピン系米国人がワールドDJコンテストの世界チャンピオンに。ヒップホップDJの人種の壁が崩れる


などが大きな分岐点となるイベントで、上の年代の流れを見ると、1973年のヒップホップの創設から10年ほど期間が開いていて、そこから一気にイベントが加速していることがおわかりかと思います。


今回のヒップホップの特集では「売れた売れない」を興味の対象から外していますが、初めてヒップホップが米国のチャートに上がったのは、1979年のシュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」で、1986年には、白人のラップユニット、ビースティボーイズがラップとして初のビルボード1位を記録しています。

» Vol.3 1984年のスクラッチの伝導 - ロック・イットへ。