覚醒の文化 ヒップホップ - Vol.1



インヴィシブル・スクラッチ・ピクルズが音楽世界に与えた震撼(1)



フィリピン系アメリカ人のアイデンティティ



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▲ インヴィシブル・スクラッチ・ピクルズの主要メンバー。結成時は、メンバー全員がフィリピン系かアジア系アメリカ人でした。綴りの「Invisibl Skratch Piklz」は間違っているのではなく、これがいわゆる後のヒップホップ系の綴りの基本となります。すなわち、「cは使わない」、「発音しない母音は表記しない」、「発音どおりの綴りにする」などです。インヴィシブル・スクラッチ・ピクルズは休止を繰り返しながら2000年まで活動を続けます。


アメリカの人々・・・。

黒人と白人がメジャーなコミュニティを形成して、中国人や日系人、韓国人がそれぞれのビジネスコミュニティを作り、南米系がアンダーグラウンドに跋扈しているようなイメージ・・・。一般的に、アメリカの人種構成を考える時に、私たち日本人等はそのあたりで止まることが多いのではないでしょうか。

第二次大戦後から脈々とアメリカの大地で過ごしてきたにもかかわらず、ほとんど表舞台で語られることのなかった人種概念に「フィリピン系アメリカ人」とそのコミュニティがあります。両親のどちらかがフィリピン人というのもあるし、両親共にフィリピン人という人たちもいるし様々ですが、多分、アメリカ史の多くではメジャーに語られることのなかった人たちではあります。

フィリピン系アメリカ人のアイデンティティという、フィリピン系アメリカ人の方の書いたものを翻訳したと思われるサイトがあるのですが、そこにこうあります。

「当時僕は6歳だった。自分の掌を両親に広げて見せては「見て!僕って白いよ」と得意気に言っていた。だが、成長するにつれてだんだん本当の自分の姿を拒むことは明らかに難しくなっていった。どうあがいても自分がフィリピン系であるということを拒めない現状には、常に複雑な気持ちが漂っていた。」

そして、

「僕の身体特徴はまわりの白人の友人やクラスメートとは異質のものであった。」

と続きます。

これは他の多くのアジア系アメリカ人も感じたことだったと思いますが、「お前はアメリカ人だ」と言われ続けてきたのに周りとルックスが違うという事実があったようです。

しかし、基本的に楽しいことが好きで、とても穏やかな気質だと思われるフィリピン系アメリカ人は、白人や黒人たちが繰り広げるエキサイティングな人種争いなどとはあまり関係のないフィールドで、地味ではあるけれど穏やかに暮らしていたようです。なので、不平不満はそれほどはなかったかもしれないですが、自分たちの「アメリカでのアイデンティティ」には疑問を持つ少年たちは多かったかもしれません。

何しろ、それまで、音楽だろうがスポーツだろうがアートだろうが、アメリカのどんなジャンルであろうと、「フィリピン系アメリカ人がその分野でトップに立つ」ことなどなかったのです。

1990年代が始まるまでは。

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