覚醒の文化 ヒップホップ - Vol.1




インヴィシブル・スクラッチ・ピクルズが音楽世界に与えた震撼(5)



「アンチ・シフト・ディバイス」と「ウェーブ・ツイスター」



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上で取り上げたDJたちのオムニバスアルバム「「ザ・リターン・オブ・ザ・DJ」」シリーズはこの手のアンダーグラウンドレコードとしてはかなりのセールスを記録します。今では、iTunes ストアでも購入できます。「これはビジネスとしても成立するのでは」と考えた独立系レコード会社は、次についに「DJたちのソロアルバムを出そう」と、同時多発的に企画を練り始めました。

最初にDJの名前を全面に出したソロアルバムが出たのは1996年のことで、ニューヨークのDJ集団、エクセキューショナーズのファーストアルバム、「X-Pression」でした。 そして、その翌年にはこのエクセキューショナーズのリーダー的存在のロブ・スゥイフトという「スクラッチ界の神様」みたいな人が「ソウルフル・フルーツ」というソロアルバムを発表します。

1998年、ミックスマスター・マイクとQバートはそれぞれ別のレコードレーベルでアルバムを発売するべくレコーディングを開始します。最初のアルバムのコンセプトは2人とも「宇宙。そして、宇宙人とのコンタクト」でした。

1998年に、Qバートが「Wave Twisters」をギャラクティック・バット・ヘア・レコードから発表。



▲「Wave Twisters」より「Turntable TV」のプロモ。

1999年には、ミックスマスター・マイクが、「Anti-Theft Device」をアスフォデル・レコードから発表。

日本でも、このアルバムからはオール・プロという曲が、コナミのアーケード音楽ゲーム「ビートマニア 5th Mix」に収録されたので、ゲーム好きな人なら聴いたことのある方もいるかもしれません。

これらをラップとヒップホップを同じくらいに思っている人が聴いた時には驚いたことだと思います。
音はすでにヒップホップという概念から離れて、前衛的な世界にまで到達していました。

しかし、大事なのは、その音楽性だけではなく、「彼らのスクラッチのスキルとテクニックはすごかった」ことです。

つまり、多くのDJや音楽家たちが彼らのテクニックを目指すために活動を開始したのです。
彼らのような音楽をしたいのではなく、「彼らのようなスキルが欲しい」と。

インヴィシブル・スクラッチ・ピクルズの貢献としては、「自分たちのスキルやテクニックをまったく隠さなかった」ということもあります。
それまでのDJたちは「自分のワザを自分だけのものにしておく」というような感じもあったのですが、彼らフィリピン系アメリカ人にはそのような「隠す」とか「秘密にする」というような概念はまるでなかったようで、「みんなで共有してこそ楽しい」と思っていたようです。

後に白人ミュージシャンとしてヒットをたくさん飛ばすことになるDJシャドウはインタビューで、

「奴らは本当にすごいよ。もちろんテクニックがすごいんだけど、それを全然自慢もしなければ隠しもしない。それどころか、自分から教えてくれるんだよ。みんなで楽しもうよって。だから、週末はDJたちはこぞって奴らの家に遊びに行くんだよ。奴らと一緒にプレイするのが楽しくて仕方ないんだ」

と言っていました。
彼らフィリピン系アメリカ人の気質の一端を垣間見るようなエピソードです。

そして、周辺DJやミュージシャンを巻き込みながら、音楽界は激変の時を迎えます。

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