私は20世紀のパンク少年だった


非常階段の新宿LOFT 「極悪ライブ」から始まった概念




非常階段 極悪ライブ (1981年)




非常階段のこの新宿ロフトでのライブは当時の雑誌(その頃はマイナー雑誌だった「宝島」など)でもよく取り上げられていて、まだ東京に出て来ていなかった私は「へえ、こんなのもあるのか・・・。見てみたいなあ」と、写真を眺めていたものです。

そして、最近になって映像を見ることができているわけですが、この1981年のライブというのは、「80年代アンダーグラウンドの東京での幕開け」イベントでありつつも、実際には「パンク、ノイズムーブメントの終焉」にも近い時期のイベントだったと今は思います。

ちょうど、太陽活動は 1979年頃から突入したサイクル21(第21太陽活動周期)の最大期間の最後の時を迎えており、時期としては「人々の熱狂が醒めていく」という時期でもありました。

日本のアンダーグラウンドは、関西ではこの非常階段を始めとして、ハナタラシ、マゾンナ、ほぶらきん、想い出波止場などの一種の異常バンドが台頭する一方で、関東では、ハードコアパンクを中心にロックが発展しました。その中で、(私がロックの最終到達地点だと考えている)「ガーゼ」が登場するというイベントも発生します。あるいは、少年ナイフのようにロックンロールの正しい伝承者が日本から突然出現したりもしました。

ちなみに、東京に出てきた後は、非常階段など様々なライブを見ましたが、たとえば、上の映像のライブなどを見ると、何だか「客席も異常に殺伐としていたのだろうなあ」と思われることもあるかもしれないですが、まあ、人によるんでしょうが、私なども含めて、結構「笑って」見てるんですよ。ジュース飲んだりしながら(笑)。

paper2.jpg

▲ 上の映像の時のものではないですが、非常階段のライブの際に貼られた注意文。

中野かどこかで見た非常階段のライブの時には、途中で飽きて居眠りしてる人とかもいて、結構のんびりとしたものだったことを覚えています。

まあ・・・ハナタラシなどの場合はそうもいかなかった面もありますが、観客としても安全策さえとっていれば(客席前方に行かないなど)、大丈夫という面はありました。今だと、こういうものはライブを行うこと自体が難しいでしょうが、逆に、今やっても仕方ないという部分もありそうで、「時代が時代に必要なものを生む」ということだったんだと思います。

まあしかし・・・30年前、これらのアンダーグラウンドに接した時、私が最も感じたことは「ああ、やっと自分の家(ホーム)に戻ってきた」という言いようのしれない安堵感でした。




アルバムを視聴できます