私は20世紀のパンク少年だった


うお座の地球に現れた「完全な自由」 - BOREDOMS




日本式のパーフェクト・フリー



1993年。

その年、アメリカ・ニューヨークのライブハウスに、日本から来た、少なくともアメリカでは完全に無名の日本人のバンドがステージに立ちました。何人かのアメリカのミュージシャンたちがクチコミで彼らの活動を伝えていたとはいえ、「所詮は日本のマイナーバンド。どこまでオレたちを唸らせるのかね」という感じだったかもしれません。

その日、ライブハウスの電光掲示板に書かれていた出演者の名前は、「THE BOREDOMS (ボアダムス)」。

live-bore.jpg

この日がボアダムスが自由のための音楽というテーマを「世界に対して」示した第一歩で、音楽での人間の覚醒のひとつがスタートした明白な時代の区切りです。それはヒップホップ・ムーブメントとは違う人種と思想の持ち主たちを、彼らと同じ地平に連れて行くスタート地点だったと思われます。

もっとも、この場合も先日書いたガーゼと同じく、本人たちはその役割にそんなに気づいていなかったと思われます。私も当時はそんなこと思っていませんでした。コルマン博士のマヤカレンダーに対しての解釈があったから気づいた次第です。

そして、ライブは始まります。

大阪出身の彼らは、大阪での悪のりとほとんど大差なく、縦横無尽に暴れ回り、自分たちも楽しんでツアーを続けます。

その時のオープニングの映像が残っています。




こんなバンドはアメリカにはなかったし、もちろん世界のどこにもありませんでした。

「こんな」というのは音楽性そのものではなく、その「自由奔放なやり方」です。 彼らにはルールがほとんどない。

実際に曲の進行以外は何が起きるのか本人たちもよくわかっていない。
予定調和はない。
ある意味キチガイ。

「そんなバンドがどこにあるんだ?」

「日本には結構ある」


日本のパンクシーンでは1980年代からあった、この「日本のパンク式自由」の図式がよくわからなかったこともあり、アメリカ人たちのショックは予想以上に大きく、ボアダムスと山塚アイは急速に欧米で知名度を上げていきます。

黒い帽子を口元まで下げて被っている男性の名前は山塚アイという青年で、数年前までは、ハナタラシという日本でも名だたる破壊的なノイズ音楽活動をしていました。彼のハナタラシ時代の活動についてはここでは書きませんが、こちらのビデオにその時の活動が簡単に文字で説明されています。(リンク先は YouTube)

hanatash-psychic.jpg

http://www.youtube.com/watch?v=T3kworqbeqw

▲ このサイキックTVのライブは、東京の中野公会堂というところで行われて、「あんなところで破壊が見られる」と、ウキウキしてでかけたものですが、主宰者からの発表で「ハナタラシはダイナマイトを楽屋に持ち込んだことにより出場停止」となってしまってガッカリ。当日、同時に出たサイキックTVの前座は、あぶらだこ、YBO2、非常階段などで、私を含めて多くの客が「前座目当て」でした。私がまだ23歳の時でしたから、24年前ですね。


私はこの頃、ハナタラシの活動のひとつひとつに憧れて、「こんな人になりたいものだ」と思ったものですが、人には「器」というものがあり、それはそもそも無理なことではありました。

さて、ハナタラシはともかく、この1993年は、ボアダムスのアメリカでのツアーは、アメリカに「ボアダムス・ショック」とでも言うべきヒステリーを起こした記念すべき年です。

先日紹介したガーゼが、1952年に誕生した「ロック」の頂点を極めたとすると、それ以外の「カオス音楽のすべての集合体の頂点」といってもいいかもしれません。パンク、ノイズ、ハードコア、それらをひっくるめた、ジャンルわけできない頂点です。

ちなみに、いろいろと語られる部分もあるボアダムスやハナタラシの音楽性や思想性ですが、細かい部分は別として、それはわりとハッキリしていると、私は最近悟りました。

それは「自由の獲得」です。もっといえば、「完全な自由の獲得」です。

これこそが、山塚アイが求めたもの、そして今でも求めているものなのではないでしょうか。その山塚アイの「世界に対しての自由宣言」の始まりがこの1993年のニューヨークのライブだったと思います。

ガーゼもボアダムスもそうなのですが、「西洋で捨てられそうになっている文化を丁寧に伝承して発展させて、広めていく」ということをキチンとやってきたわけで、日本は、能や歌舞伎や舞踊や、様々な日本的思考性など、いろいろな伝統の「文化」が大事に伝承され続けている国ですが、その民族性のようなものの一端を私は彼らの活動に見ます。

地球に生まれた文化は死なせないし滅ぼさない」というさりげないけれど強い執念が根底にあったような気がします。

ちなみに、ボアダムスがいかに日本国内よりも海外で評価されているかということは、Wikipediaの日本語版英語版を比べるだけではっきりします。日本語だけ喋る日本人のバンドなのに、英語の記述の方がはるかに多いです。

この事実は、彼らのファンが西洋に多いという理由と共に、「西洋の文化を守ってくれてありがとう」という、西洋人たちの無意識の感謝の気持ちに感じます。

いずれにしても、「1993年」は、まさに「自由への第一歩」にふさわしい時代の幕開けでした。