私は20世紀のパンク少年だった


ハナタラシの東京上陸





「Cock Action」と名付けられたシリーズのライブで、1985年に大阪の山塚アイが、「ハナタラシ」として初めて東京にやってきます。


ハナタラシ / Live in 澁谷 LAMAMA(1985年)



そりゃもう話題でした。

マイナー音楽雑誌等で伝えられるハナタラシのライブは「世界の音楽史」の中でも聞いたこともないほど強烈なもので、実際、今でも都市伝説じみた話を含めて、世界的な一種の語りぐさにはなっています。

「日本のパンク」の精神的土壌が他の国と大きく違った点が、このハナタラシなどの活動にもよく出ていると思います。

英国では、階級社会に対しての無力感からの「わかりやすい闘争」からパンクが始まり、アメリカでは貧富や階級の差から来る、やはり、わかりやすい闘争からパンクは始まりました。なので、英米ではパンクに非常に多くの人々の共感も得られた。だから「レコードが売れ」もした。

しかし、日本の場合はそうではなく、「自らの精神との格闘」であったことが多かったです。

特にノイズやハードコアパンクの多くは「目に見える社会体制との戦い」ではなく、「死霊」の作家である埴谷雄高さんが言うところの「存在の革命」を目指しての戦争であることが多かった。それだけに、大多数の人々の共感は得られにくかったということがあります。

しかし、現状の日本の精神的土壌(社会体制ではない)に不満を持つ私のような「社会のゴミ」たちは彼らの登場に心底感嘆し、そして、本当に感謝した。

ハナタラシだけではないですが、私は当時、いろいろなバンドや表現者の活動のいくつかを見た後には「ああ、生きていて良かった」と思い、そして、当時は気付かなかったですが、心の底から彼らに感謝していたのだと思います。

本当にありがとう。

表現社会のゴミ中のゴミであった彼ら、そして私たちなどの間に漂う「超マイノリティの宇宙」で助けられて生きて来られたことのできた私のような者もいたわけですから、まあ、世の中はいろいろであります。