レイモンド・スコットが封印を解いた天使のラッパ - Vol.5

ヘンリー・パーセルの死霊


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▲ 17世紀の英国の作曲家ヘンリー・パーセル。切手「英国の偉人シリーズ」に採用されている自画像。1695年に 36歳くらいで亡くなっています。

ヘンリー・パーセルというクラシック音楽家をご存じの方はいらっしゃるでしょうか。夭折の天才作曲家と呼ばれた 17世紀の作曲家で、Wikipedia などでは、「最も優秀なイギリス人の作曲家の1人として知られている」と記されています。

このように大変に有名な人なんですが、私はその名前を「聞いたことも」ありませんでした。もちろん、その音楽など一曲も知りません。

・・・と思っていたのですが、実は私の青春の中で比較的影響力のある「出来事」の中で、この「ヘンリー・パーセルの死霊」が華々しくその存在感を示していたことを後年知りました。

このヘンリー・パーセルの「歴史の中で消えていた曲」を 280年後に再現した人がいるのです。

レイモンド・スコットたちが発明した「シンセサイザー」を使って。

その曲は、1695年に亡くなったイギリスの女王メアリー二世の葬儀のためにヘンリー・パーセルが作曲した「女王メアリー二世のための葬送音楽」( Music for the funeral of Queen Mary )というもので、それを 280年後にシンセサイザーで再現したのは、ウェンディ・カルロスという女性作曲家でした。

そして、さらに、そのウェンディ・カルロスの演奏したシンセサイザー版の「女王メアリー二世のための葬送音楽」が、世界中の(多分、数百万人以上)の人々の前で大音量で披露されることになりました。

それは、1972年のスタンリー・キューブリック監督の映画『時計仕掛けのオレンジ』のオープニングテーマとしてでした。


「時計仕掛けのオレンジ」(1972年) オープニング




これがヘンリー・パーセルの「女王メアリー二世のための葬送音楽」。シンセサイザーで弾いていますが、作曲構成は同じです。クラシックでの実際の演奏はこちらなどにあります。

時計仕掛けのオレンジというのは、単なる不良少年の映画といえばその通りなんですが、私たちを含む一部の世代の若者たちには「革命」だったということも言えなくもないです。

いずれにしても、このように「クラシック音楽を忠実に再現するための機械」としてのシンセサイザーの役割も70年代くらいからは大きくなりました。『時計仕掛けのオレンジ』で音楽を担当したウェンディ・カルロスさんは、劇中で上の他にも、ベートーベンの曲やロッシーニの曲を多くシンセで再現し、それらはシンセサイザーでなければ再現し得なかった繊細な音質を実現しています。

劇中では、実際のクラシック音楽も多く使われ、私の大好きなロッシーニの 1817年のオペラ『泥棒かささぎ』の序曲が暴力シーンで延々と流されるという使い方をしていたりします。



▲ 『時計仕掛けのオレンジ』で繰り返し使われたロッシーニの『泥棒かささぎ』の序曲からのフレーズ。


価値観の変転と「音楽」の関係

さて、なんでこんなことを延々と書いたかというと、この「1972年」に、女性音楽家ウェンディ・カルロスさんがおこなったことの意味は、

・価値観の変転

を伴っていたということがまずあります。『時計仕掛けのオレンジ』は紛れもないバイオレンス映画で、その内容を社会的な視点から見れば、「完全な悪」そのものを描いています。

そして、もともと、ヘンリー・パーセルが 1695年に、その時のイギリスの女王様であるメアリー2世のために作った葬送曲「女王メアリー二世のための葬送音楽」を作った意味はどんなものだったか。

それは、「英国の女王の存在」という確固とした王室制度の中で生まれた芸術であり、階級社会そのものを称える芸術でした。

そして、その「女王メアリー二世のための葬送音楽」が 280年後に多くの人々の目の前に登場した時には、それは、「あらゆる権威と階級に意味を見なさない若者たちの暴力を描く」、あるいは「暴力を賞賛する表現の代名詞」として登場したのです。

280年前の「葬送曲」は、そのまま「古い価値観への葬送曲」として登場したということもいえます。

これはウエンディー・カルロスさんという自身の完全な変転(彼女は性転換手術で男性から女性になった)を経験している人だからこそできたことかもしれません。

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▲ ウェンディ・カルロスさん。写真は、1981年に映画音楽(「トロン」)のサウンドトラックを制作中のご様子。コロンビア大学の博士号を持つ才媛。彼女は現在も健在です。

そして、ロッシーニ。

軽快なメロディを作り出すことにおいては天才的な音楽家だったロッシーニ(人類史の大衆音楽の歴史はロッシーニから始まったと私は思っています)が作り出したオペラ「泥棒かささぎ」の楽しくて浮かれるようなメロディは、この映画の公開と共に、

・暴力の BGM

と変転しました。

この変転がいいとか悪いとかではなく、パーセルやロッシーニの死後数百年近く経って、この掘り起こしがなければ、これらの音楽は「現実的に存在が消えていた」可能性もあります。

実際、上のふたりの作曲家は他の様々な当時の有名作曲家ほどに伝えられていたとは思えません。特に曲単位では顕著で、上の2曲、すなわち、パーセルの「女王メアリー二世のための葬送音楽」もロッシーニの「泥棒かささぎ」も、1970年代までは「埋もれていた」感は否めません。

どういう形であれ、優れたものは「亡霊」として蘇る。
本来の意味に関係なく蘇る。
シンセサイザーにはそのような役割もありました。

電子音楽というのは、少なくとも 1960年代以降、クラシックを含む「人類の文明史」を忠実に再現しつつ、同時に新しい世代の新しい若者の価値観の誕生とリンクしていたかもしれません。