レイモンド・スコットが封印を解いた天使のラッパ - Vol.4

レイモンド・スコットのキャリア(後半)


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レイモンド・スコットのキャリアの完結編です。
1994年に85歳で亡くなるまでです。

ところで、先月の2月(2012年2月)というのは、体調もあまり良くなかったこともあるんですが、ずーっと部屋の中や、あるいは散歩中はポータブルオーディオで、「昼は 1930年代のジャズ」ばかり聞いていて、「夜はヒップホップだけ」を聞いていました。

1930年代からのジャズの流れでレイモンド・スコットも知ったのですが、ヒップホップのほうは、私が聞くのは、アンダーグラウンド・ヒップホップと呼ばれるジャンルだけで、賞やヒットとはまるで無縁の音楽の世界です。多分、それらのミュージシャンは1万人に名前を聞いて1人知っているかどうかというような人が多いと思います。

でも、以前は「10万人に名前をきいても誰も知らないようなミュージシャン」の音楽ばかり聴いていたのですから、自分でも進化していると思います。

その2月の間は、この10年くらいで聞き逃していたものを大量にインターネットラジオなどで聴いていたのですが、その中で、本当に胸につまる曲がありました。サースティン・ハウル・ザ・サードという、米国のヒスパニック系のヒップホップ・ミュージシャンの曲なんですが、1999年に彼が CDR としてアメリカで自主リリースしたたものを初めて聞きまして、その中の「ジョン、あいつら盗んでる / John They're Stealing 」という曲の曲調と彼らの訴え方に妙に感動したものです。

私とか、あるいは私の接してきた人たちは比較的「お金がない」とか「名誉も立場もない」いうようなことを恨んだり、嘆いたりすることはないのですが(貧乏でも金持ちでも関係ないということ)、アメリカ人などはそのあたりが基本的な自己表現ラインとなることが多く、「貧困である」ということだけで成り立つ音楽表現は結構多いです。

お金がない、とか、立場がない、とかそんなことどうでもいいじゃん、と思うのですが、アメリカでは「それがすべて」という部分はあって、だからそんなことでも切々とした曲になります。

たとえば、そのサースティン・ハウル・ザ・サードという人の「ジョン、あいつら盗んでる」という曲の冒頭は、語りの部分から言うと、こんな感じで始まります。

ガラの悪そうな人ですので、それに準じた日本語にしました。



ファックな話を聞いてくれ。
俺たちはそのクソみたいな店の中を歩いてた。

レジにはバアサン。
旦那みたいなジイサンが店の裏にいた。
なんかプルプル動いてやがった。

俺は革ジャンを見てた。
寒いんだよ。

買おうとしてたんだ。
金を出して。

ダチが革のコートを手にして後ろに置いた。

すぐに店のバアサンは叫んだね。

「ジョン、あいつら盗んでる」

この寒さを考えてくれ。
上着が欲しいだけなんだ。
アイスピックなんて持ってねえし、襲う気もねえよ。

いつもこうだ。

オレたちが何かするだけで、

「ジョン、あいつら盗んでる」



下の曲です。


Thirstin Howl III - John They're Stealing



これは音楽性も個人的に非常に素晴らしく、ここ20年くらいの歌(MC)の入ったヒップホップのベストに入るものでした。

関係ない話でしたけれど、でも、この歌の演奏などでも使われていますが、ほぼすべてのヒップホップのバックで流れる「サンプリング」という音楽技術、あるいは「音楽の電子制御」というものに関して、レイモンド・スコットが関係しているというのは感慨深いです。

多分、かなりのリッチな「スーパー・セレブ」だったと思われるレイモンド・スコットが、現在の米国の「スーパー・プア」たちに結局はリンクしていくという「音楽の根源サイクル理論」というものがここにあります。

それでは、レイモンド・スコットのキャリア。
晩年編です。

次から次へと現在のエレクトロニクス音楽の礎となる概念の発明が飛び出します。

(ここからです)




Timeline (compiled by Jeff Winner)

レイモンド・スコットのタイムライン

1958年から 1994年まで
 ジェフ・ウィナー著

1958年 49歳。心臓発作で倒れる。医者は、レイモンド・スコットは1年以内に死亡するだろうと予測した。この年から強心剤を携行する。

同年、NBC テレビ「あなたのヒットパレード」を引退。

同年、電子音楽器「サークルマシン / The Circle Machin 」を発表。

1959年 50歳。電子音楽器「ザ・エレクトロニウム / The Electronium 」のファーストバージョンを発表。

同年、「自動テープ変換装置( Automatic Tape Transporting and Position Device )」が米国特許2998939号。

同年、第2次レイモンド・スコット&シークレット・セブンによるアルバム「アンエクスペクテッド」。

1960年 51歳。電子音楽スタジオ会社『ザ・ワールド・オブ・サウンド / The World of Sound 』を設立。

同年、電子音楽器「リズム・シンセサイザー / Rhythm Synthesizer 」を発表。
同年、電子音楽器「ピッチ・シーケンサー / Pitch Sequencer 」を発表。

同年、第3次レイモンド・スコット・クインイット結成。
同年、レコードレーベル「マスターレコード」を設立。

1961年 52歳。電子音楽器「並置マトリックス / Juxtaposition Matrix」を発表。

コマーシャルサウンド音楽スタジオ『エレクトロニック・オーディオ・ロゴス Electronic Audio Logos , Inc 』を設立。

1962年 53歳。電子音楽だけを収めた3枚のアルバムを発表。

同年、アルバム『赤ちゃんのためのリラックス・ミュージック / Soothing Sounds for Baby 』を発表。

同年、最後となるレイモンド・スコット・クインテットを結成する。

1963年 54歳。ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された年。

同年、電子ドラムマシン「バンディート・ボンゴ・アーティスト / Bandito the Bongo Artist 」を発表。

1964年 55歳。米国はベトナム戦争に突入。ビートルズの最初の訪米。

1966年 57歳。電子発明品「連続ドアベル」。

1967年 58歳。アンビエントのための電子音楽器「ファッショネーション&パーティシペーター The Fascination ' & 'The Participator 」を発表。

同年、電話関係、ミュージックボックス、玩具、ゲーム、自動販売機等の数々の発明品を発表。

1968年 59歳。電子音楽器「ベースライン・ジェネレーター / Bassline Generator 」を発表。

同年、電子音楽器「シンセサイザー・ゴング / Synthesized Gong 」を発表。

同年、再び心臓発作で倒れる。

1969年 60歳。電子音楽器「ボイス・モジュレーター / Voice Modulator 」を発表。

同年、電子音楽以外では最後となるバンドでのレコーディングを行う。

同年、工学エレクトロニクス会社「エレクトロニック・トランスミッション・システム」を設立。

1971年 62歳。モータウンで電子音楽リサーチの責任者となり、ニューヨークからカリフォルニアへ移住。

同年、電子音楽器「メロディ・メーカー / Melody Maker 」を発表。
同年、電子音楽器「リズムギター・シミュレーター / Rhythm Guitar Simulator 」を発表。

同年、再び心臓発作で倒れる。
心臓バイパス手術を受ける。

1973年 64歳。電子オーディオの会社「レイモンド・スコット研究所」を設立。

1977年 69歳。モータウンから引退。

1983年 75歳。3度の心臓パイパス手術を受ける。

1984-1986年 自宅のラボで電子音楽楽器の開発と作曲を続ける。

1987年 80歳。最後となる音楽アルバムのレコーディングを行う。

1988年 81歳。度重なる心臓発作により、仕事の継続ができくなくなり、また、脳卒中により会話とコミュニケーションができなくなる。

1994年 85歳。2月8日。レイモンド・スコット死去。




(ここまでです)

1963年にリリースした『赤ちゃんのためのリラックス・ミュージック / Soothing Sounds for Baby 』というアルバムの中の曲を紹介して、とりあえずいったん、このシリーズは一区切りつけますが、まだ続くかもしれません。

曲は「おねんねの時間 / Sleepy Time 」という意味の、きわめて美しい曲です。

ちなみに、私はこの年に生まれていますので、「ああ、オレが生まれた時にこれを作ってくれたんだ」と、こういう偶然も贈り物みたいなものだと素直に感謝いたします。

Raymond Scott - Sleepy Time



81歳で脳卒中で倒れてコミュニケーションがとれなくなった後のレイモンド・スコットの頭の中でも、こういう音楽が響き渡っていたかもしれません。81歳で得られた「無限」。

「死ぬ」って案外こういうことなのかも。
無限とタッチできる瞬間っつーか。